爪先立った朝日落ちるとき折れる枝と水のほとりで。今日は行けないよ。たぶん・たぶん明日も。

水色の給水塔に登りました。東京タワーが見えた。上空は風が強く太陽が落ちようとしていて細い月が白く傷のようにあった。腹の底から笑い出そうとした。面白い。震える。足の付け根から……。

町の一角が黄金に変わるその精度は持ち合わせていないけれど。ここに、ここに、ここに。

雲は形を変えて。水色からしろ、きいろ、赤へと虹のようなそら。広すぎるよ。
広がる、上へと上へと。登らせて。


後で手を見たら塗料でまっさおだった。

ところで竹熊健太郎『箆棒な人々』(河出文庫)がベラボーに面白い。時代によってあらわれる人間のタイプは違うの? 昭和の写真を見ているとカオツキがいまとぜんぜん違って「ふるい」という印象を受けるもの。 当時にしかありえなかったと思う、破格の人物像。たった十年、二十年前。いまも存命。でも別の世界の人間のように思う。


  *

角砂糖かりりとかじってガスコンロに火をつける シュボッ


口に含むと他人のような角砂糖を陥落するのよ 紙のように白くて紙のようなにおいがする。古い家の空気を連れてきたのね。ここまで。夜のうちに降り積もった霙のような埃っぽいにおい。


においは思い出を運ぶから苦しいね。昨日見た雑誌に交通事故現場で撮影されたというきれいな、きれいな女のマニュキアをして指輪を嵌めた女の手首が載っていた。ハンドバッグの紐がかすかに指に絡んでいた。薔薇の花みたいだなあ。手首からこぼれた肉をみてそう思った。薔薇の花弁みたいだ。きれいな人は内臓まできれいなのかな。死ぬ瞬間までこうふくだったみたいにその手首はピカピカしていた。


私の手はこんなふうにきれいではないし、私の体もこんなふうにきれいではない。私はまるで居心地が悪い。女性はみんな、たいてい私よりきれいだと思う。いっしょに電車に乗っているとその小ささや薄さに驚いてなんとなく肩を鷲摑みにしたくなる。いっしょにお風呂に入ると犯罪を犯してるような気分。なんであんなにすべすべでつるつるなのかなあ。


でもどうやら、私は私が自分で思っているよりも、ふつうに見えるらしい。ということが、大人になるにつれ、わかってきた。驚くべきことだ。その変化はだいたい大学生ぐらいで起きる。大学を卒業してしまえばもう一般人みたいなカオができる。


だからみなさん。いま小学生とか中学生とか高校生のみなさん。とりあえず二十五歳ぐらいまで生きてみなよ。
そのくらいになると、けっこういろんなことがふつうになるから。安心できることが増えると思うよ。