こんにちは。
先日、いいことがあったので記念パピコだよ☆☆☆

アンディー・メンテのじすさん(泉和良さん)の小説が発売されていました。
講談社BOXから『エレGY』というタイトルです。

ほんとうに信じられないよ。
うれしいよ。
商業的に認められると思っていなかったもん。
すごくうれしいです。

アンディー・メンテというのは1997年くらいからフリーウェア・ゲームをつくっているグループです。
実質はジスカルドというひとが一人で作っているようです。

わたしは高校生ぐらいのとき、雑誌の付録についてきているミニ・ゲームで知りました。

FF3で、はじめてひくうていに乗ったとき、感動したな。すごい世界拡張感覚だった。
ロマサガで、いつのまにか王様が100代を超えていたときも感動した。気が遠くなる時間だった。
小学生にして年老いたよ。

あるいはグレッグ・イーガンの『ディアスポラ』(これは小説)のラストの、こころぼそくなるような遠さ。

そういう「遠さのクオリア」「せつない何か」に反応する人間にとって、AMの世界観には惹きつけられるものがあった。
   ところで「せつない」って英語でなんていうんだろう! もしかして日本独自?


アンディー・メンテの作るゲームには、大きな物語の断片がそこかしこにあって、文字だけで、いろんなことを想像されられました。作者さえ把握できないような、永遠に語られることのない壮大な物語の、切れ端や、残り香だけがただよってきていた。
実体がない、到達点のない、高みに上ろうとする、せつない憧れだけを感じた。

あるいみで、(…もちろん)物語としては胎動状態だった。未生の胎児だった。抜け殻の言葉だった。

未完成なところも、未熟なところも、幼稚なところも、ぜんぶ好きでした。

だからエレGYのきもちすごくわかるんだ。

この小説は、エレGYというAMファンの女の子と、じすさんの、心の葛藤および愛です。

リストカッターで登校拒否の高飛車な女子高生……という設定だけで引いちゃう人もいるだろうし、じすさんの自己演出した芸術家と実像とのギャップというのも初歩的な悩みだ……って面倒になる人もいるでしょう。

そもそもケータイ小説的な文体・ライトノベル的な文体(……私は、書きたいことと文体がぴったりしているうえに、適度な距離感がある、よい文体だと思うよ。ライノベなので、風景描写とかはないよ!)が読めない人もいるでしょう。

そういうひとにはおすすめしないよ。ぜんぜん。
(どう説明したらいいのかわかんないけど、高橋源一郎はもしかしたら気に入ってくれるかもしれないけど、保坂和志はだめだろう、というか……。失望されるといやだから、いろいろ言い訳してごめん。)

どういうひとにおすすめかというと下流だよ。貧乏人だよ。思春期少年だよ。芸術家だよ。オタクやアキバ系だよ。

で、もし興味をもったひとがいたら、途中ダレても、引いても、最後までよんでほしいな。
きっちり感動させてくれるから。

チャプター5は、私にとってはほとんど完璧で、一字たりともゆるがせにできなにゃい。
「彼女の声が既成の湖畔に触れるとき、涙が出た」なんて、すらっとかけるやつそんじょそこらにいないよ、でもいってる意味、すげーわかるよ。もう四回ぐらい読み返ます。きらきらした幸福が描かれているものが私の栄養なのです。

うーん。すきすぎて、うまくかけない。バイアスかかりすぎてる。

あそうだ、あと、このげんだいにこういう恋愛が成立する、ってこと自体がすごくうれしかった。

とにかく。


こうして世に出たことがうれしいです。
どうもありがとう!

がんばってください。
新刊が出る限り、読み続けるから。
ありがとう。

私もいつか、光を返せるようになりたいな。


追伸:

池上永一『やどかりとペットボトル』は、著者の沖縄の幼年期が語られているエッセイで、やった!発見!ていう面白さでした。
ふにゃー。お母さんのキャラ強烈。笑う。